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岩谷水産について

About Iwatani Suisan

日本有数の漁場・和歌山県串本町大島で「紀州梅まだい」・「紀州梅くえ」・「紀州梅しまあじ」の養殖に取り組んでおります。また、故郷の美しい漁場環境を保全し、高品質な魚を育てる飼料の開発も行っております。

創業180余年。本州最南端の美しい海を舞台に、魚と真摯に向き合い、安心安全で高品質な魚の養殖に日々取り組む「岩谷水産」のコンセプトムービーです。

弊社は、創業180年以上の歴史があり、先祖代々にわたって故郷の紀伊大島を拠点に、串本町の美しい海を愛し、今日に至るまで魚と真摯に向き合っております。故郷からいただく自然の恵みに感謝し、1尾ずつ丹念に魚を育てております。

故郷の美しい自然と長年の養殖業に対する真摯な思いが繋げてくれたご縁から「紀州梅まだい」と「紀州梅くえ」は誕生しました。
先代たちから受け継ぐ「故郷への感謝の心」を胸に、世代を超えて歴史を紡ぐ島「紀伊大島」で、輝く太陽の下で、魚たちと日々真面目に向き合っております。

岩谷水産の思い

和歌山県の特産品である梅や紀州備長炭を用いた、ブランド魚の開発と養殖に日々励んでおります

本州最南端の地、和歌山県串本町で水産養殖業を営んでおり、真鯛を主要養殖魚とし、クエやシマアジの養殖に取り組んでおります。バブル崩壊以降、串本町の水産養殖業は衰退の危機にさられており、危機的な状況を打開すべく、和歌山県の特産物である「梅」を活用した、ブランド魚の開発に取り組みました。

水産業の六次産業化にいち早く着手し、生産者の顔が見える安心安全な養殖業に取り組む

「養殖・加工・販売・流通」を一貫して自社で行い、商品作りに対する生産者の思いと取り組みを消費者の方に、直接発信していく機会の場の構築に努めております。
生産者と消費者の関係性を重視した養殖魚とその加工食品の生産を目的とし、品質管理の徹底と技術革新に日々注力しております。また、地方の資源を生かした新規性・独創性のある産業を創造し、都市と地方双方の交流を深めていく事を目標に掲げております。

若い世代を中心に、串本町の養殖業の未来を共に担う、人材の育成にも努めております

皆が生き生きと活躍できる環境を整えることも急務の一つと捉え、串本町の養殖業の未来を共に担っていける人材の育成にも努めております。20代から30代の若い世代を中心に、明るく活気がある良い組織作りを心掛け、地元地域に限らず、県外出身者も積極的に採用しております。

「持続化可能な養殖業」に取り組み、串本町ならではの魅力的な水産業を築き上げていく

美しい漁場環境を保全し、高品質な魚を育てる飼料の開発にも取り組んでおり、地元地域の豊かな自然環境を生かした観光業にも着手し、都市と地方の交流を活発化させる魅力的な水産業を構築していきたいと考えております。

生産地について

紀州梅まだいが育つ、
本州最南端の美しい生産地のご紹介

弊社は、和歌山県最大の島「紀伊大島」を本拠地としております。
紀伊大島は、日本とトルコ友好の原点として知られており、「エルトゥールル号遭難事件」は両国の絆を結ぶ物語として語り継がれております。 思いやりの心を紡ぐ歴史ある地を守り、次の世代へ繋いでいく事が我々の使命であると考えております。
また、ふるさとの美しい漁場環境を生かした、串本町「ならではさ」・「らしさ」が詰まった魅力溢れる水産業を展開していく事を目標としております。

串本町の美しい漁場環境

本州最南端の地である串本町の海は、サンゴ礁形成の北限となっており、黒潮からの暖水と熊野灘からの冷水の接する海域であるため、温帯的、また熱帯的様相の混じる、貴重な資源として平成17年にラムサール条約に登録されております。

国内有数の養殖漁場の地

年間を通して串本と紀伊大島付近の海は穏やかな環境にあり、串本は古くから漁業の町として栄えており、中でも水産養殖業が地場産業として盛んに行われております。
昭和中期からハマチの養殖業が盛んに行われるようになり、国内有数の養殖漁場の地として知られております。現在では、真鯛やシマアジが主要な養殖魚とされており、近年では本マグロやスマガツオの完全養殖が注目されております。また幻の魚として称される「本くえ」の養殖も行われております。

紀伊大島について

世代を超えて受け継がれる歴史の島「紀伊大島」

廻船の寄港地として栄えた名港「紀伊大島港」

和歌山県下最大の島である紀伊大島は、近世初期から明治の中期にかけて、廻船が江戸へ向かう航路の寄港地として、海上交通の歴史上において、非常に重要な役割を果たしてきました。島が天然の防波堤となっており、半島を迂回する帆船の絶好の風待ち・日より待ちの場所でした。元和5年(1619年)の上方・江戸航路が開かれて以降、全国から多くの商人が大島浦に入港しておりました。また潮岬海域の鰹漁の基地として、古くから漁業の地として栄えてきました。

日本とトルコ友好の原点の地「紀伊大島」

両国を結ぶ深い絆は、明治23年(1890年)に紀伊大島沖で発生した「エルトゥールル号」の遭難から始まりました。この遭難に際し、当時の島民は不眠不休で生存者の救助・介護にあたりました。食料の蓄えもわずかであったが、衣類や食料を惜しみなく提供するなど、生存者たちの救護に努めました。この出来事が当時のオスマン帝国に伝わり、友好関係の起点として記憶されることになりました。

日米最初の出会いの地「紀伊大島」

寛政3年(1791年)、ペリーの黒船来航より62年も前に、「レイディ・ワシントン号」と「グレイス号」の2隻のアメリカ商船が紀伊大島に上陸しており、初めての日米間の接触であると公文書に記録されております。この歴史はあまり知られておりませんが、実はこれが日米の最初の出会いとされております。
その史実を記念して、1975年に「日米修好記念館」が建てられました。館内では、寄港当時を再現したジオラマや資料・船の模型などが展示されております。この敷地内には、「海金剛」という名勝地があり、21世紀に残したい日本の自然100選に選ばれております。

ラムサール条約に登録された、美しいサンゴが群生する串本のきれいな海です。「世界で最も北にあるサンゴの海」、それが紀伊半島の先端にある串本の海です。

歴史ある真鯛の養殖。長年培った養殖技術と美しい漁場環境が相まって、高品質な真鯛が生産されております。

成長速度が遅く養殖が極めて難しいとされている高級魚「くえ」の養殖も行われております。

紀伊大島と串本を結ぶ「くしもと大橋」が平成11年9月に開通しました。ループ橋とアーチ橋を組み合わせた美しい橋で、橋から見えるオーシャンビューは絶景です。

紀伊大島水門神社の例祭。神社の祭神は誉田別命(ほむたわけのみこと*応神天皇【第15代天皇】)。県の無形文化財に指定されており、その歴史は古く由緒ある祭典として、毎年2月の第二土曜日に開催されております。

紀伊大島樫野崎灯台のそばにエルトゥールル号の慰霊碑およびトルコ記念館が建っており、町と在日本トルコ大使館の共催による追悼式典が5年に一度行われております。

紀伊大島の東端・樫野の断崖に建つ、日本最古の石造り灯台です。近くにはトルコ記念館と記念碑があり、日本とトルコ友好の原点の地を巡る紀伊大島の歴史にも触れることができます。

串本町樫野の名勝地「海金剛」。21世紀に残したい日本の自然100選に選ばれております。

串本から紀伊大島に向かい、約850mの列を成して大小40余りの岩柱がそそり立つ橋杭岩。国の天然記念物に指定されております。